大相撲の暴力問題、まだもめてますねえ。
先に結論から言いますが、暴力はダメです。
理由を挙げたら、朝までかかりそうなので、やめておきます(笑)。
たまたまテレビのワイド―ショーで、この暴力問題をやっていて見ました。
はっきり言って、グダグダですね。
時折、テレビのコメンテーターやゲストなどが「時に暴力を使って教育することは必要だ」といった意見を言いますが、今日もそんな意見を言ってるのを見ました。
持論を述べるのは言論の自由を認めている国なので、別に構わないんですけどね。
言論の自由がなかったら、このブログなんて成立しませんから(笑)。
ただ、理論的に???なのは勘弁してほしいと思います。
相撲に限らず、暴力が教育に必要だというならば、効果がなければいけません。
だから、簡単ですよ。
相撲部屋をランダムに2グループに分け、一つ目のグループは一切暴力なし、褒めて指導する。
もう一つのグループは一切誉めず、暴力的に指導する。
これで比較試験を行えば、すぐに結果出ますから。
学校の授業でもやれば、いいんですよ。
スポーツ選手などの体験談で「私が子供の時に愛のこもった平手をもらって、その経験が私を変えて、ここまで成長させてくれた」なんか、どうでもいい話です。
だって、その経験をしなかった場合、その選手が活躍しなかったことを誰も証明できませんから。
人生の道は一つじゃなく、分かれ道だと思うんですよね。
そしていくつかの道は他の道につながっている。
だから、その時に確かに暴力で気持ちが変わって、ターニングポイントになったというのはわかるんですけど、仮にそれがなくとも、今いる道にはやっぱりたどり着いていると思うんですよ。
結局、成功する人は気づく能力があったってことなんで、平手打ちをくらわなくとも、他の経験で後に気づけたはずです。
ま、これも誰も証明できませんけどね。
ちなみにランダム化比較試験は今や、最強の因果関係を証明する疫学手法ですから、大相撲でもやったらどうですかねえ?(さりげなく、製本テキスト「疫学」の宣伝のつもりです)。
ちなみに、もう15年以上になりますが、授業中に怒ったことがありません。
怒鳴らないと、怒らないと、授業を真面目に聞かない、なんてよく聞くので、ほんとかよ?って感じで試してみました。
本当に怒鳴らない、怒らないとどうなるか・・・どうなったと思いますか?
授業は崩壊し、学生の成績は下降・・・するわけないんですよ。
平和ですよ、平和(ちなみに成績も優秀です)。
教師の仕事は授業を聴きたくなるように工夫することであり、授業を成立させる方法を考え、怒り方を工夫する仕事ではないですから。
授業を聴きたくなる工夫をすべてやって、他者の意見も参考にしてさらに工夫し、それでもダメならば体罰を考えるというのならわかります。
でも、私から見ると、暴力や体罰、怒鳴るなどやっている教師は、それらの努力もせずに、一足飛びで怒鳴ってると感じます。
そもそもやるべき努力をしないで、他者を批判しちゃいけませんよ。
「相手に変わって欲しい場合は、まず自分が変わること」
これ、鉄則です。
相手のことを思うあまり、暴力をふるう。
スクールウォーズの見過ぎですよ。
相手のことを思うなら、自分が変わってお手本にならなくちゃ。
だから信用してもらえ、尊敬してもらえる。
基本的に「言ってることと、やってることが違う」から信用してもらえない、尊敬してもらえない。
そんな努力してない人間の話なんか、聞きたくないと思うんじゃやないでしょうか???
自分の人間性を磨かず、暴力や立場を利用して強制的に従わせる・・・平和的じゃありませんね。
あ、言い忘れましたけど、実は大相撲大好きです。
昔は後援会に入ってましたし、肩入れしてた力士に差入れもしてました。
昇進パーティーも楽しかったな。
でも、今は昔ほど大相撲見ません。
大相撲の最大の魅力、それは体重別になっていない点だと思ってます。
どんな格闘技も体重や身長が大きければ、単純に優位なので、体重で階級を分けています。
でも、ファンが見たいのは、あの階級の王者とあっちの階級の王者はどっちが強いんだって試合だと思うんですよね。
それが毎日のように見れるのが大相撲だったんですよ。
過去形なのは、最近そのワクワクが感じられなくなったからなんですよね。
なぜワクワクしなくなったのかは、あえて言いません。
証明できないんで。
たぶん、貴乃花親方は私のような意見を持つファンが離れていくの危惧してるんじゃないかな。
ま、勝手な推測ですけど・・・。
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